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核実験またやりましたね。

北朝鮮は3日、1年ぶりに6度目となる核実験を強行し、国営メディアも午後、ICBM=大陸間弾道ミサイル搭載用の「水爆実験に完全に成功した」と発表しました。

またやりましたね。

現在、核保有国はアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン。

核を持っているのではないか、もしくは開発中ではないかと目される国はイスラエル、イラン、シリア、ミャンマー、そして北朝鮮だそうです。

イスラエルは保有についてYES,NOを公式には明らかにしていませんが、まず間違いなく保有しているそうです。

シリアは現在紛争地域となっていて開発施設が2007年にイスラエルによって破壊されてしまっているようです。

イランはご存知のようにアメリカがにらみを利かせていて、まだ核の開発中。

ミャンマーについては、自分も全く認識していませんでしたが、どうやら北朝鮮の協力を得て、核の研究から核兵器の開発を行っているという疑惑があるそうです。

そして、インド、パキスタンが核保有国となって以降、核保有国として認識されるようになったのは北朝鮮です。

北朝鮮はこれから核を持とうとする国が秘密裏に開発しようとしているのに対して、「俺は持っているぞ」と自ら名乗っています。

イラン、シリア、ミャンマーはまだまだこれからであるのに対して、もう開発が最終コーナーを回ってしまったからなのでしょうがふてぶてしい態度だと思います。

さて、北朝鮮の紛争相手国であるアメリカはどうかと言えば、世界No1の核兵器所有国です。

核実験についてみてみると、パキスタンの核実験以降、北朝鮮を除いて核実験を行っている唯一の国です。

2010年から2014年までなんと12回も実験を行っています(「Zマシン」と呼ばれる装置を使った爆発を伴わない新たなタイプの核実験らしい)。

北朝鮮の核実験を脅威だと感じるのですが、実際にはアメリカこそ多くの核実験を行って開発をさらにさらに進めているのです。

アメリカの核兵器は世界の脅威ともいえるでしょう。

世界を大きく俯瞰してみてみれば、決してアメリカのやり方も褒められたものではないし、北朝鮮を後ろ盾する中国、ロシアが間違っているとは言えないと思います。

北朝鮮からすればアメリカと対立する以上、自衛手段として核を保有することは必須であったことも理解ができないこともありません。

北朝鮮は地政学上、中国の盾としての役回りを押し付けられ、アメリカが後押しする韓国と渡り合い、民主主義の浸透から共産主義を守り、金一家の独裁を維持するのは大変なことであったと思われます。

先軍主義を貫くことでこれまでの国家体制を維持し、今日アメリカと渡り合えるように至ったのはある意味立派な戦略であったのでしょう。

しかし、北朝鮮、金王朝の存立は大変いびつで、世界の中では独善的で危険な存在であるのは事実だと思います。

金王朝は自国のまっとうな発展や国民の豊かな生活を大切にすることを一顧もしていてこなかったし、今後もそうあり続けると見込まれることは、だれの目にも明らかではないでしょうか。

北朝鮮が掲げる主体思想は、自由主義陣営で育った私からすると受け入れられませんし、共産主義とも言えません。

偏狭な考え方をすれば、北朝鮮がどうれあろうと私たちには全く関係ないことです。

しかし、今その北朝鮮のミサイルが頭の上を通過し、「お前の国も攻撃対象だ」と言われてしまうと関係ないはずの日本はそれなりに考える必要があるでしょう。

(かなり大雑把な言い方でして、実際には拉致の問題が存在し日本がアメリカと同盟国である以上は、無関係とは言えないのですけどね)

日本は軍事小国です。どういわれても自衛隊が他国からの侵略を単独で防御することは不可能ですよね。

戦後、日本が選んだ道は非武装。その代わり西側陣営に属し、アメリカの庇護を受け、核の傘の下に住み、その傘が雨漏りしないように笠張をするごとく、アメリカの意向を甘んじて飲んできました。

その付けがいま回ってきたのですが、戦後のこの方針によっは豊かな世界3位の経済力を手にすることができています。

世界情勢は目まぐるしく変わりました。

今、日本は再び敗戦以来の重要ななかじ取りを迫られています。

仕方なく日本がやらなければならないことは、アメリカに聡明な判断を求めること、自衛のための手段を持つことだと思います。

自衛手段を持つことに日本人はアレルギーを起こします。

先の戦争で嫌というほど苦しんだからです。

戦争は私も嫌です。

人が死ぬこと、殺すことは絶対にすべきではありません。しかし、相手が殺すぞと言っている、「話せばわかる」といっても問答無用と言っている、その相手に武器を手にして身を守るのはこれまた生物としての本能でしょう。

自らは無抵抗に正義を貫き、人を殺めるなら、死を望むというかともおられるでしょう。

でも、我が子、我が妻、我が親、我が友人、我が知人が同様に殺められることがあっても、自らと同様に死を選べと言えるでしょうか。

正義は自らにあるのに、まげて死を選ぶのはどうかと私は思います。

戦後の日本は、独自に他国の人々を恫喝したり、安全を犯したり、搾取したり、不正義に対する加担をしたことは今まで一度もないと思います。

そのような日本が他国に恫喝され、脅かされています。(脅かしている国は北朝鮮だけでなく、中国、ロシア、韓国もそうですが)

日本を、家族を、隣人を、自らを守る決意が必要ではないでしょうか。

他の誰にも任せることなどできない決意をしなければならないことを、自分が認識することを今求められているのではないでしょうか。

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